石原雅人(神学生3年、63歳)
私の父の職業は教師でした。そしてそのことを知っている小学校の同級生が多くいました。父は毎日同じ時刻に帰宅し、NHKの夜の七時の時報で自分の腕時計を合わせるのが日課でした。そんな几帳面な父の性格を受け継いで、私は子供の頃からまじめな性格でした。そのため、掃除当番が全く苦にならず黙々とこなしていました。その姿を見て同級生は、「先生の子供だから真面目に掃除をしている。」と言われました。また、友達とふざけて教室内を走り回っていると、「先生の子供なのに教室内を走っている。」と言われました。私は何をしても先生の子供だからという目で見られることが嫌で仕方ありませんでした。私は父が教師をしているからこんな風に言われるのだと思い、父が教師をしていることが恨めしくなり、ひいては父を恨むようになりました。この思いは消えることなく、私の心の中に残り続けました。
大学を卒業し電機メーカーに就職し設計部門に配属されました。そして、入社後五年が経ったある日、上司から部署の移動を告げられました。私は移動先の部署で新しい仕事を覚え、新しい人間関係を築くことがとても不安でしたので、この命令を聞いたとき、断りたい気持ちでいっぱいでした。けれども、サラリーマンとして命令に従うしかなく、この命令を受け入れました。ところが、その翌日昨日の命令はなかったことにすると告げられました。この出来事によって、私は今の部署には居ても居なくてもよい存在なのだと感じました。そうすると何のために働くのか、何のために生きているのかという疑問が湧いてきて仕事が手につかなくなるとともに、将来への不安が重くのしかかってきました。どう考えても答えが出ず悩みました。そして、この悩みを作ったのは、一夜にして命令を変えた上司が原因だと考え上司を恨むようになりました。子供の頃、父親を恨むようになったのと同じように、自分に起こってくることの原因を、自分以外の人のせいにしていました。原因を人のせいにしても、悩みは解決せず悩み続けて、心身ともに疲れ果てていました。
そんなとき職場の人からキリスト教会に誘われましたが、設計部門にいた私は、計算して答えが出ることを業務としていたので、目に見えない神様のことは、全く信じる気になりませんでした。当然のごとくキリスト教会に行くことを拒否していました。ところが、伝道師の先生が訪問してくださり、熱心に聖書の話をしてくださいました。そのことで聖書に触れる機会が増えてきました。そして、聖書のことばに出会いました。それは、「あなた方の思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなた方のことを心配してくださるからです。」という聖書のことばでした。この聖書のことばによって,私は自分の悩みをイエス様にお任せすれば良いことが分かりました。また、自分はイエス様に心配していただいている存在なのだと言うこともわかりました。それまで、悩みの原因を、人のせいにしてその人を恨んでいたこと、また、自分は何も悪くない悪いのは、全部自分以外の人だという高慢な考えでいたことに気づきました。自分は傷つきたくない、自分こそ被害者だと思い込み人を恨んでいたことにも気づきました。なんて自分勝手で人への思いやりのない人間なのかということが分かりました。それと同時に、こんな自分でもイエス様が心配していてくださることもわかりました。自分の将来に対する不安に対して、どう対処すればよいのかもわからず行き詰まった状態を、イエス様はちゃんと見ていてくださって、心配していてくださるという安心感も得ることができました。心が一気に解放されました。重く沈んでいた胸の内がとても軽く感じられました。
このことを通して、イエス様を信じる決心ができました。心が一気に解放されたことによって将来への不安は消え去り、生きる希望が湧いてきました。自分を見ていては何の意味もない。イエス様に全てをお任せして、イエス様だけを見上げる。そんな思いが心の中にあふれてきました。そしてこれまで私の心を縛っていた人への恨みは、取り除かれました。父に対する思いも変わりました。父は子供たちを教えるという尊い職業に就いていたのだ、また家族を養うために一生懸命働いていたのだと誇らしく感じるようになりました。さらに私を悩みのどん底に落としたとして恨んでいた上司に対しての恨みも消え去りました。上司は上司の業務遂行の中で私に対する命令を出し、また取り消しただけであって、私が個人的に上司を恨む理由は何もないことに気づきました。自分勝手に恨みを抱いていただけでした。
聖書のことばです。「しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」 私は悩みの中、暗闇の中で進むべき道が解らず迷っていました。けれどもイエス様が私と出会ってくださり、進むべき道に光を当ててくださいました。そして私の人を恨む心だけでなくすべての罪のために神の御子イエス・キリストが二千年前に十字架で血を流してくださいました。私の内にある人を恨むという罪の心をイエス様の血がきよめてくださいました。恨む心だけでなく、人を裁いたり、自分が偉いという高慢な心、人を嫉む心などすべての罪なるものからきよめてくださいました。神様を信じることによって神の子とされ、私を縛っていた先生の子と言うことばからも解放されたことをイエス様に感謝します。